キハ40形車両

 Profile

奈良県生まれの奈良育ち、大阪にて就職し、結婚後大阪に居住。
小学生の時作った鉱石ラジオにはまり、その後はアマチュア無線(JA3K?E)、写真(カメラPENTAX SP)、車(サニークーペ)と増え。
それらを三位一体?となってのドライブ先が関西本線柘植(つげ)駅から加太(かぶと)駅の間でSLの写真を撮り始める。加太越えは関西本線の急勾配のある難所でした。
宮崎以外の撮影は、播但線生野峠越えC57三重連、山陽本線の御着駅付近へC62の撮影に行っていたが写真が見つからず。
退職後に「撮り鉄」から「乗り鉄」へかわりJR全線走破(JR北海道、JR四国、JR西日本、JR九州(吉都線以外)は完乗)を目指しぼちぼちと鉄旅実行中です。

トップ画面はキハ40形の各地の車両。国鉄時代の1977~1982年に作られた気動車(ディーゼルエンジン)で、全国の非電化区間に配備されたが廃車になる車両が多く希少な状況になってきました。
トップ以外は古い写真からスキャンしたためハッキリとしないですが懐かしい画になりました。

 懐かしい切符と写真

NHK大河ドラマ「春の坂道」に因んだ特別列車「柳生号」重連(SL2台で牽引) 関西本線(撮影日場所不明)
山岡宗八原作徳川家剣術指南「柳生宗矩」を主人公にしたドラマ。

関西本線<D51 703> (撮影日場所不明)
当時は、撮影していると蒸気を吐いてくれサービス満点でした。
右側に通称「ハエたたき」が写っています(当時の鉄道用通信線は単芯のため複数の線が電柱の碍子に取付けていた)

宮崎までSLを撮りに行った帰りに乗った寝台特急券(大分ー新大阪の寝台特急「彗星2号」)
(東北、奥羽本線の電化が進み余剰となったSLが九州地域に集まっていた)

上段
大阪ー下関間の切符
快速、普通列車等を乗り継ぎ、瀬野八越えの難所(瀬野駅-八本松駅間)の撮影をしながら行きました。
下段
「長門一ノ宮駅」の入場券(現在の新下関駅=1975年3月10日岡山‐博多間の新幹線開通時に駅名変更)
開通6日前に行っていたのがわかります。

マイカー第一号の初代「Sunny coupe」50万円で、ガソリンは45~50/ℓ円位だった?。
車載用無線機(当時は144Mc今は㎐)を取り付けていました。

C57 112蒸気機関車 
(1973年6月末頃 日豊本線高鍋付近?)

C61 20蒸気機関車 まだ客車を引いていた (1973年6月末頃 日豊本線高鍋付近?)
何という偶然か、この機関車は大宮総合車両センターにて動態保存され現役です。

加太越えの貨物列車、先頭車と補機(補助機関車で後方より押している)の蒸気機関車の2台が写っています。凄い煙とドラフト音の迫力が魅力でした。